お笑い米軍基地なはーと公演 後記
〜那覇の空にでっかい月〜
久しぶりに、本当に久しぶりに「お笑い米軍基地 後記」を書こうと思います。
もう・・・5年、6年ぶりかなぁ
正直、今別の仕事の台本を書かなきゃいけない状況。
でも面倒臭くなって、この「後記」を書くことにした。
言ってみれば現実逃避。
あっ、ここまで書いて脳がフラッシュバック!
「お笑い米軍基地後記を書いていた時は、確かいつもこんな感じで書き出してたなぁ」
だからたぶん、今回も“正しいタイミング“で、“正しい気持ちで“
このお笑い米軍基地後記が書けるのかなと思っています。
6年前、僕が喉の癌で入院してからこの「お笑い米軍基地 後記」を書くのをやめた。
そしてお笑い米軍基地でウチナー喜劇を演じることも、脚本を書くこともやめた。
元々、お笑い米軍基地という舞台はコントと喜劇の二部構成で行っていた。
でも癌になって、ベッドの上で、放射線治療と抗がん剤の副作用に耐えながら
死ぬほどの吐き気と、死ぬほどの激痛・頭痛に襲われながら
「喜劇をやってる場合じゃない。コントで表現できることをまずは徹底的にやらないと。
死んでも死にきれない」
そう思った。だから喜劇をやめた。結果、僕は死にそびれた。残念ながらまだ生きてるっ笑
2022年8月13日 お笑い米軍基地・本土復帰50周年記念公演なはーと編が無事に終演しました❗️
満員御礼❗️❗️
来て頂いた皆さん、応援して頂いた皆さん、取材して頂いて皆さん
そしてメンバーのみんな
本当にありがとうございました❗️
一言で表すなら、ただただ、楽しかった😁
それだけ。本当にそれだけ。そしてそれを目指してやってきた。
お客さんに楽しんで欲しいのはもちろんだけど
うちのメンバーに、スタッフに、楽しんで欲しかった。
今回はそれを目標に、この半年間やってきた。
普段の稽古も生活も、うちのメンバーと関わる色々なイベントも、仕事も
何気ない会話も、何気ないラインのやりとりも・・・
やっぱりメンバーに楽しんで欲しかった。
それができずに、たぶんここ数年が経過していた。
癌になってから
「明日死でもいいように」という想いが、確かに強くなりすぎていたかもしれない。
中には「凄みが増した」とか「笑いの先に狂気を感じる」とか、「舞台で死のうとしてる」など
退院後の僕の舞台を見た人達からは、良いのか悪いのか、よく分からない感想も色々頂いた。
本人としては、今までと変わらず「その瞬間を刻んでいる(舞台に脚本に、焼き付けている)」だけ。
でも周りの反応は少し違って思えた。
要は・・・近寄りがたい、着いていけない、変わった
そう思われていた。そういう周りに対してもイライラしていたかもしれない。
確かにそうかもやぁ。
癌になり、両親も死んで、実家も無くなり、その他・・・色々なことが降り注いだ。
コロナで仕事もライブも出来ず、芸人でいる意味も、生きてる意味も失ったように感じた時期もある。
でもそれが人生だし、特別なことではない。
もっと言えば、僕の人生なんてどうでもいい。
特にお笑い米軍基地は「今を」「沖縄を」どうやって素直に描き、どうやって切り取って笑いにしていくか。
それだけの舞台なんだから。
今年に入って、僕は決めたことがある。
「何だか分からないけど、楽しくてみんなが寄ってくる空間を、時をつくろう」
それは僕に「芸人になるんだろ?」と言ってくれて、僕に「芸人は生き方だ」という言葉を残してくれた
FECの創設者である故・山城達樹さんの生き方そのものだったと思う。
達樹さんの周りには自然と人が寄ってきて、自然と盛り上がり、みんなが自然と笑顔になっていたように思う。
だからこそ「FEC=フリーエンジョイカンパニー」という団体が、成立したんだと改めて気づかされた。
今年6月に行われたお笑い米軍基地新作公演、そして今回のなはーと公演ではそれを目指した。
この舞台を終えた瞬間に(※いや、それをつくっている練習期間・準備期間も含めて)、みんなが笑っていたらいいな。
お客さんもメンバーもスタッフも取材してくれた人も、ずっとずっと笑っていたらいいな。
そして何だか知らないけど、気がついたら多くの人たちが寄ってきてくれたらいいな。
そんな感じ。そんな感じを目指した。
みんなが笑っている瞬間はあっという間に消え去るかもしれない。いや、消え去る。
でもそれでいいさ。
消え去るけど、またその瞬間から「それを続ければいい」のだから。
それが僕がやるべきこと。それが僕が芸人であり続けられること。
それだけを目指してやるべき。テメェの人生や考えなんて、どうでもいい!
原点回帰。
久しぶりに相棒の「たかし」をこの舞台に呼んだことや、コントの内容や喜劇の内容だけではなく、
スピリッツとしての原点回帰。魂の原点回帰。
そんな舞台になればいいなと思ってやってきた。
それができていたとか、まだまだできていないとか、そんなことはどうでもよくて。
今思えば・・・そうならざるをえないほど、僕はボロボロだったのかもしれないけど。
それはいまだに、続いていることなのかもしれない。
でもそんな今だからこそ、それが今の「その瞬間」僕だからこそ
描けるものがあったし、やっぱり今しかできないことが沢山あったと思う。
僕が喜劇で演じた「フリムン」という役は、僕そのものだ。
僕そのものとして描いた。
フリムンとはキチ○イ、コ○キ、ホームレス、社会からドロップアウトした人、社会の底辺!・・・と思われている人。
そのフリムンが最後に発する
「おかー、一緒にエイサー踊ろう!」「おとー、一緒にエイサー踊ろう!」
このセリフに全てを込めた。
おばーが夜中に無言で1人で踊るカチャーシー。
そのシーンに全てを込めた。
おばーの
「あんた達は本当の地獄を知らないワケさ。だからいつまでも武器を捨てられないんだよ!」
このセリフに全てを込めた。
とにかく太鼓をたたき、一心不乱にみんながカチャーシーを踊る。エイサーを踊る。
あのエンディングに全てを込めた。
ってか、全てを込めすぎ!笑
こんなに全てを込めたら、逆に何も込められてないんじゃないの?笑
喜劇だけじゃないっ、コントだって・・・
やっぱよそう。ただでさえ長いのに、また長くなるっ
久しぶりの「お笑い米軍基地 後記」は、この辺でいいかなぁ〜
何書いてるか、わけわかんなくなってきたしっ
そろそろ飽きてきたしっ笑
久しぶりだからこんなもんだろ
全然まとまらない、ってか、最初からまとめようなんて気はない!
だってそれが今「その瞬間」の想いだからや。
とにかく今は
「皆さん、また僕と舞台で遊んで下さい!」
ありがとうございました!
そろそろ、仕事に戻るや
ってか全然やる気ねぇ〜!笑
2022年8月16日 外が真っ暗な窓際にて。
まーちゃんこと小波津正光
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